おなやみの人近頃は、どちらを向いてもAI(人工知能)の話題でもちきりです。今までの世界観を一変させるかもしれない、このAIとの付き合い方について、どんな考え方があるかを教えてほしいです。



了解です。AIの時代を生きていかなければならない50代の、心構え、考え方について、ご紹介しましょう!
AI vs 人間 避けては通れない未来がある


数年前にチャットGPTが気軽に利用できるようになり、いまや複数の生成AIが米国を中心に、世界各国で開発されています。
日常生活におけるちょっとした疑問を解決してくれる。なんらかのアドバイスを受ける。簡易な作業やデータをまとめてもらう。
仕事において、報告書をまとめる手助けになる。多彩な例文を参考にする。アイデアをまとめる。などなど、使い方は無限にあるでしょうね。
そんなAIと人間との関係。今後はどうなっていくのでしょうか。
一言でいうと、こうなるでしょうね。もはや避けようのない、絶対的な立場にAIはのし上がり、人はそれに追従するしかない。
もしも、デジタルから身を引き、パソコンも使わない、スマホを持たないという生活環境に身を置けるのは、よほどの金持ちくらいにしか与えられない特権階級みたいなものでしょう。
いまの10代の中高生でスマホを持っていない子供はどれだけいるでしょうか。クラスに一人くらいはいるかもしれない。では、今の20代でスマホを持っていない人口はどれほどいるでしょうか。
スマホの所有率は、10代でも20代でも、100%に近い数字が叩き出されるでしょうね。それだけ生活には欠かせないモノ。もはや水道や電気、ガスなどと同じく社会的必須インフラとしての地位が確立されているとも言えるでしょうね。
50代のひとがAIと接する残り時間はおおよそ30年から40年ほど。対して、10代や20代の若者がAIに接しなければならない残り時間は70年や80年を超えてくるでしょう。50代の人々に残された時間はどうしても少なくなります。さみしいことですが。。。
残された時間は少なくとも、密度を濃くしてやればいいんです。濃密な、こ~ゆい人生をこれから考えればいいんです。そのためには以下の記事が参考となります。


AIとは付かず離れず 適切な距離を考える


AIとの避けては通れない未来があるとすれば、わたしたち人間との関係はどうなるのか。どうすべきなのか。
ここで大切なのは「中庸」の考え方です。
中庸とは辞典の定義によれば、以下のようになります。
考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま。古来、洋の東西を問わず、重要な人間の徳目の一とされた。
スーパー大辞林3.0 松村 明(編者)
なにごとも極端な考え方、思想、行動は古来より避けられてきました。急激な社会変革は混乱をもたらすからです。デジタル全盛期の今こそ、中庸の精神が大切になりますね。
さて。さきほどの中庸の定義のうち、【重要な人間の徳目】という部分に注目しましょう。ぼくはこの部分に意味合いを感じます。
徳目の一つ。ようするに人として持つべき価値観。それも古今東西において目指されている基準。逆に言えば、中庸の考えを持っていなければ、人として未完成であると表現できますね。
極端に走ってはいけません。AI時代の到来や~!と、息巻く若者世代ならまだしも、50代は良識と常識、コモンセンスを持ち合わせた大人の世代です。
さらなる高みを目指すためには、以下の記事が参考になります。


『自省録』は僕がもっともおすすめできる本の一つです。ご一読ください。人生観が一変する可能性があります。
最後は人間の力を信じられるかどうか


豊かな社会。便利な社会。誰もがそれを望みます。ただし、一定の秩序と節度が必要です。AIにすべてをゆだねるべきではありません。人の存在意義を感じ、人工知能の利点と欠点を常に考え、意識すること。
AIの情報処理能力にはかないません。人の力では、人工知能の知識量には勝てません。ならば、AIに対して人ができることは何か?
これに尽きると思います。
AIを全否定しない。AIを全肯定もしない。中庸の精神で、AIと人間の調和ある世界、社会を作る。世代間のAIに対する認識の違いを乗り越えること。
人間の力を人間が信じることができるかどうかにかかっています。



AIのある社会を前提に、それとどのように向き合うべきなのか。一つの方向性を知ることができました。ありがとうございました!



AIの未来については、さまざまな考え方があります。僕だけの考えではなく、各世代の考え方の違いもあると思いますので、多様な意見を比べてみることも大切だと思います。







